Essay


【写真上達の近道】

これから述べることは、私が考えている「写真の上達の近道」です。ピンホール写真に限った話ではなく、普通のカメラで撮ることを前提にしています。カラーやモノクロームの区別もありません。普遍的な「写真を撮る」という行為に対して書いたつもりです。
想定した読者は、これから、写真を作品として撮りたいと思っている、ビギナーです。 現在、私はピンホールカメラで、作品作りを続けていますが、ファインダーも無いピンホールカメラで撮影する場合でも、基礎は、普通のカメラでの撮影方法です。私は長年、普通のカメラで撮ってきていますので、ピンホールカメラでも、対象の狙い方や、構図が直感的に分かるのです。 えらそうな事を書いている、と思われると心外なので、先に打ち明けてしまいますが、ここに書いてることの大半は、私が「失敗」した経験に基づいていること、そして、今でもまだ、「失敗」は多く、書いた内容に自分が達していない項目もあること、をどうか理解してから読んでください。また、もし間違ったことを書いていたり、修正すべき内容がある場合は、ご遠慮なくメールをください。

1.機材はシンプルが良い。
たとえば、機材はシャッター速度や絞りを選べる、シンプルなMF一眼レフとレンズは1本だけ。35mmから50mm位の単焦点のレンズがいい。ズームレンズは駄目。望遠も駄目。28mmを含む広角系も駄目。マクロレンズも駄目。
なぜ1本の35mmや50mmレンズにしろ、というかというと、まず、自分の目を養う必要があるからだ。優れた写真家は皆、自分と対象の距離が決まっているそうだ。ここでいう距離とは、対象(被写体)との相対的な距離、心理的な距離であり、物理的な距離とは違う。自分の距離を見つけるためには、自分は常にカメラを持って動かねばいけない。ズームレンズでは、自分が動かず、安易にズームリングを回して、拡大や縮小してしまうことが多い。もし、ズームレンズ1本しか持っていない、という人は、一旦、標準域にテープで固定してしまおう。
望遠や広角レンズは、肉眼で見る画角とかけ離れていて、目を養うためには好ましくない。日常と違う画像に自分で酔ってしまい、それだけで良い写真と錯覚しがちだ。同じ理由で、マクロレンズで花を撮るのは楽しいのだが、この段階ではやはり避けよう。標準域レンズで良い写真が撮れない人に、望遠や広角で良い写真は撮れない。

なるべくなら、ボディーはオートフォーカスより自分でピントを合せるマニュアルフォーカスが良い。機械がピントを合せるのと、自分がレンズのフォーカスリングを回してピントを合せる行為は、結果は同じでも、まったく意味が違う。シャッターのタイムラグもできるだけ無いほうが良い。機構はなるべくシンプルなこと。沢山機能がついていて、機械に遊ばれてしまうようなカメラは決して良くない。
カメラはパソコンや家電ではないのだ。写真は感性であり、道具であるカメラは直感的に操作できないと駄目だ。だから、何台もカメラを買ってはいけない。1台を自分の体の一部のように使いこなせるようになること。アマチュアの場合、カメラの保有台数と、写真のうまさは、どうも反比例しているような気がする。

2.身近なものを自分で見つけて撮る。
対象との出会いが大切。 誰かの上手な写真に感動するのは良いが、自分もそこに行けば同じような写真が撮れると思ってはいけない。また、事前に撮影場所を決めて、決めた対象を撮ろうと思ってでかけることはいけない。そこへ行けば、きっと良い写真が撮れると決め付けてしまい、他のものを見ようとしなくなる。
大事なのは、常に発見であり、対象との出会いである。そのためには遠くへ行くことは必要ない。近所を自分の足で歩き回ろう。最高の撮影対象は、どこにあるか分からない。足元かもしれないし、その路地の奥かも知れないし、空を見上げれば素敵な雲があるかもしれない。
車でばかり移動してもいけない。車の移動速度では、絶対に見えない。せめて自転車の速度。なるべくなら歩こう。歩くときは漫然と歩くのではなく、普通の人の何倍も見て歩くこと。そして「見る」感性をどんどん養うこと。 (自分のテーマが決まってきて、同じ場所へ何度もでかけることは、ここで言う決め付けではない。テーマの場所や対象を何度も撮って、常に新たな発見をしているからだ。)

3.一度に沢山撮らない。
身近なところを歩き回って撮るときは、一度に沢山撮ってはいけない。私は家に近い場所を撮りに行く場合、撮影時間は最大で2時間、フィルムは、ブローニー判で2本以内がベストと思っている。69サイズなら、たったの16カットだ。そして調子が出ないときは、無理して撮らないようにしている。 35ミリフィルムの場合、1本で36枚も撮れてしまう。どうしても安易にシャッターを押しがちになる。やみくもに「下手な鉄砲も数」的にシャッターを押しまくっても決して良い写真は撮れない。むやみに沢山撮ると、自分の感性のエネルギーが、どんどん薄くなるのだ。35ミリフィルムでも、一回の撮影では2本以内にしよう。

4.対象とじっくり対話しよう。
肉眼で見ること。 たとえば、あなたの感性にピンときて、「これいいな」と思ったとする。すぐにファインダーを覗いてむやみにシャッターを押していないだろうか。何に心を惹かれたのか、なんでいいと感じたのか、もうちょっとじっくり見てみよう。肉眼で対象をじっくり見てみよう。対象はあなたに何を語っているのだろう。 もっと寄ってみたらどうか。こっちの方向から見たらどうか。背景はどうか。画面の中の、感じた主役は小さすぎないか。光はどうか。画面の中の主役の位置、背景などの脇役の配置はいいか。それらを頭で考えるのではなく、感性でチェックするべきだ。 たいてい初心者の場合は、主役の対象と自分が離れすぎていて、写真の印象が弱い。また、単に主役をど真ん中に持ってきて撮ってしまい、まわりの画面構成を見ていないことも多い。離れないよう、始めのうちは一歩前に出る、というのもひとつの方法だ。
もちろん全てのケースに当てはまるわけではない。感じたその瞬間がベストという場合があるからだ。そのときは迷わずシャッターを押そう。被写体が人物だったり、動物だったりしたときは、なおさらだ。光も刻々と変わってしまう。普通のカメラで写真を手持ちで撮る場合、こんなときは、私は構図は一秒以内に決めてしまっている。でもそれは、上のような基本をマスターしているから瞬間で判断できるようになるのだ。

5.けっして傑作を撮ろうと思うな。
これは傑作だ、みんな驚くだろう、などと思ってシャッターを切るな。絶対に駄作になる。素直に感じたまま、自分の感性に忠実に撮ろう。打算は写真をだめにする。

6.撮らないことも大事。
折角来たのに、時間がないから、と無理してシャッターを切ってはいけない。1本撮ることをノルマのように撮影してはいけない。感じないときは撮らない、ということも必要だ。私の場合、無理して撮ったネガから、後々まで残せる作品ができることは、まず無い。その代わり、気持ちが乗った場合は、1本のネガから、何カットも残る作品ができる日もある。
写真撮影は大半がメンタル的な行為なので、そのときの心理状態、自分の活性度、感性の鋭さ・鈍さによって変わってくるのだ。同じ場所、同じ条件でも、見える場合(感じる場合)とそうでない場合があるのだ。駄目なときは引き上げよう。

7.撮りにでかける回数は多いほど良い。
一度に沢山撮ってはいけない、と書いたことと矛盾するように見えるが、一度に沢山は撮らないけれど、撮影に出かける回数は多いほど良いということだ。だから、写真は遠くにでかけないと撮れない、とか、特別な場所に行かないと撮れないと思っていると、機会はどんどん少なくなる。 そこで、身の回り、近所を歩き回って撮ることをお勧めする。

8.トリミングはしない。
いいかげんな画面構成で撮って、後でトリミングすればいいや、という撮影は絶対に避けて欲しい。シャッターを押したときに、画面構成は完成していること。プリントするときには、トリミングはしない。そのために、対象を良く観察して、じゅうぶんに自分が感じて、納得して、シャッターを押して欲しい。

9.ネガは大切に保管しよう。
カメラやレンズばかり大切に保管して、撮ったネガ(ポジ)やプリントをいい加減に、放り出している人がよくいる。本来は逆である。 カメラやレンズは単なる道具にすぎない。駄目になったら買いなおすことができる。 だが、あなたが今日撮ったネガ(ポジ)は、世界にひとつしかない。紛失したりカビさせたりしたら、二度と復元できないのだ。
自分はまだ下手だから、ネガなんてどうでもいいや、と思ってはいないだろうか。 とんでもないことだ。将来、自分のレベルが上がって、写真を評価する目が養われたときに、再評価できるカットがあるかもしれない。そうでなくても、自分の写真活動の履歴、進歩がそこに歴史として残るわけだ。余裕があれば、何年も前に撮ったカットを眺めて、これは、このように撮ればもっと良くなった、と後から勉強することもできる。だから、ネガと、できれば、ベタ焼きをきちんとファイルして残しておこう。 あなたの貴重な財産は、カメラやレンズではない。あなたの撮ったネガである。

10.良い作品は沢山見ること。
なるべく、オリジナルのプリントをギャラリーに見に行こう。モノクロームを目指す人はなおさらだ。また、良い作品とは、コンテストで良い賞をとった作品という事ではない。見るなら個展が良い。個展で発表しているプリントがいい。すでに定評のある作家のオリジナルプリント展があればなお良い。ぜひ見ておこう。カラーでも同様だ。ギャラリーに出ているプリントと印刷物では、全く色も深みも違うからだ。 コンテスト入賞展も良いのだが、1枚や数枚で競う場合、どうしても目を引く写真が、良い賞を取りがちだ。審査者によるバラツキも大きい。そして、見る人は、賞の札を先に見てしまい、作品を鑑賞する以前に、優劣をつけて見てしまっている。これが一番いけない。 個展の場合は、作家は、もっと沢山のプリントで、ひとつのテーマで、見る人にうったえ、そして伝えようとしている。見る側が感じ取れるものもその分多いはずだ。

11.人の評価に左右されないこと。
人に誉められたり、コンテストで良い賞を取ると俄然やる気が出て、写真が楽しくなるものだが、人の評価を過剰に気にしてはいけない。とくにアマチュア団体の場合、リーダーが細かく細かく指導する場合がある。こう狙えとか、何を撮れとか言うわけだが、駄目だ駄目だと言われると萎縮してしまって、貴方の写真は成長できなくなる。自分を見失ってリーダー好みの写真を撮るようになり、袋小路に陥る。
コンテストもそうだ。審査員それぞれ見方や好みが違うから、この審査員向けにはどう撮るか、などと追求してしまうと、コンテストの賞取りゲームとしては面白いだろうが、写真が上達するためには好ましくない。
自分のスタイルやテーマを確立するために、頑固に、自分の意志で、撮り続けること。そして、先輩や先生方に合格点をもらうことよりも、貴方の写真のファンが出てくることが大事だ。権威が合格点をつける写真は実はもう古い評価スケールなのかもしれない。

12.最後の評価は自分だ。
実はこれが一番辛い。私の場合、撮った直後は、撮ったときの思い入れが強すぎて、自分の写真が良く見え勝ちだ。だが、半年、1年と時間が経って見直すと、存外駄作だったりする。3年経って見直しても、まだ評価できる写真は結局良い写真だった、と判断するようにしている。だから、このホームページに掲載している写真も大半は駄作なわけで、もう削除したいカットばかりなのだが、記録の意味からもまださらしている。 きちんと自分が撮ってきたものを評価し、次の制作にフィードバックする。それを繰り返せば、いつかは大成できるだろう。

(作成:2002年9月)

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