Essay


   【NYC-2 白タクにつかまった】

  2003年の4月23日のこと。JFK空港でロビーを出ると、目の前にタクシー乗り場らしい出口があった。ガイドブックをいい加減に読んでいたせいで、係員が整理券みたいなのを渡すのだと思っていた。まごついていると、目の前に現れた、やたら背の高い逞しい男に声をかけられた。「イエローキャブを探しているか?こっちに来い、」とニコニコして、僕のサムソナイトをとって、左の通路へ案内し始めた。だが、どうも様子が変で、どんどんと早足で遠くへ行く。もう一つのタクシー乗り場らしい所も、ここは違うと横断歩道を渡る。
  「本当にイエローキャブか?」と聞くと、「そうだ、俺はユニオンに属している」という。こりゃ、引っかかったなと感づいたが、190cm以上はある、腕は僕の足より太そうな大男だから、サムソナイトを奪い返す勝算はとても無く、はて、どうしようかと、NY到着早々トラブルかと暗澹となった。

樹木と古いビル(ピンホールフォト)

 とうとう駐車場の金網のエレベーターに乗る。「マンハッタンまでいくらだ」と聞いた。「45+TAX+チップ」だという。「イエローキャブより高いぞ」と言うと、「大丈夫だ、大丈夫だ」という。
 上の駐車場について、「さあ、乗れ」と言われたのは、薄汚れた、古そうな、大型のブルーのセダンだった。もう一度、「込み込みでいくらで行く」と聞いた。59だという。15ドルほど高くつくが、もし、それで行くのなら、まあいいだろう。覚悟を決めて後部座席に乗った。

「お前のスーツケースはやたら重いな。いい運動になるよ。」とジョークを言いながら、サムソナイトをトランクへ入れていた。そりゃそうだ。展示する作品が全部ブックマット付で入っていて、優に20kgは越えている。  ボロ車は発進した。もう、白タクに間違いない。だが、不思議と慌てず落ち着いていた。問題は、本当にマンハッタンへ行くかだ。とんでもないところへ行って、身ぐるみ剥がれるか、最悪、ピストルを出されるかの危険も考えた。また、目的地へ着いても、あと100ドル出さなきゃ、降ろさないとか、荷物を渡さないと言う可能性もある。NY個展目前で散るのは、ゴメンこうむりたい。

 目的地は、個展の案内状を見せて、チェルシーの番地を告げた。「俺はフォトグラファーだ、NYで個展をするために来た。」「そりゃ、素晴らしい事だ。俺も写真はすきだ。」
 予想外に頭の良い男で、一発で、番地は暗記してしまった。「ニューヨークは初めてか」と聞くので、「2度目だ、8年前に来た。」と言った。
 この男、空港から出たとたん、周りの景色やニューヨークのことなど、さかんに説明しだした。割と気の良さそうな男だ。この際、徹底的に話しつづけようと思った。親密感をいだかせれば、犯罪抑止効果があるだろう。防衛手段はこれしかないと思った。

 「俺の親父は、シシリーの出身だ。だが、マフィアじゃないよ。マフィアなら、長いリムジンに乗っているところさ。」という。「それに白いマフラーもいるね。」と言うと、「そうだ、そうだ。」と笑っている。
 すぐに車は渋滞に巻き込まれた。日本語でなんて言うんだ、と聞くから、「ジュータイだ」と教えた。他にも片言の日本語を知っている。今日は、もうひとつ日本語を勉強したと喜んでいる。イタリア系と聞いて思いついた。イタリアなら、家族を誉めればイチコロだろうと。

 「子供は何人だ?」「16を頭に女の子ばかり4人だ。」「それは頑張ったな。それじゃ、いいパパだな。16なら、もうレディーだろう。」と言ったら案の定喜んだ。「カアチャンは家ではボスなんだ。」というから、「それは日本でも同じだよ。」と答えた。
 小一時間の間、さまざまな会話をした。観光案内よろしく、左や右や見えるものは全部懸命に説明してくれる。どうも、道もきちんと最短を通っているようで、トンネルを潜り、マンハッタンへ入った。9.11のこと、大リーグのこと、気候のこと、華氏と摂氏の換算法まで伝授してくれる。このアパートは、官僚が住んでいて2000ドルもするんだ、とか、この辺は物騒で、ジャンキーが沢山いるから気をつけろとか、セントラルパークも暗くなったら絶対に行くなとか、これから行く、チェルシーのウェスト地区もハドソン河の方は、暗くなったら危ないから行くな、ジャンキーがたむろしているぞ、等々いろいろアドバイスをしてくれる。

今日の昼飯(レンズ・デジタルフォト)

 途中、彼の携帯が鳴った。あわてて出て、「後で電話する」と言って切った。「仕事か?」「そうだ」と、白タクアルバイトを自ら告白して馬脚を現したようなものだった。おかしかった。
 ユニオン公園を回り、ウエスト地区へ入り、ストリートやアベニューの番号を見る限り、ちゃんと向かっていた。昼前に、目的地の511のビルへ着いた。59と言ったから、9ドルは全部1ドル札で渡してやった。困った顔をして、(そりゃきたかなと警戒)「1ドル札はお前、チップに取っておいた方がいいぞ、10ドル札くれ」という。結局、60ドル丁度払った。トランクから丁寧にスーツケースを降ろし、歩道に置いた。楽しい話をありがとう、と握手をして分かれた。どうやら、白タクでも、いいほうの白タクおじさんだったようだ。

 その後、帰国時にイーストビレッジのアパートからJFKまで頼んだリムジンが、全部で56ドルかかった。60ドルはそれと余り変らない価格で、楽しませてくれた分、OKかなと思った。

 

 (後日談)6月に短期で2回目のNY訪問をした。個展の終結と撤収のためだ。このときは、ターミナルも違ったが、迷わずまっすぐに、イエローキャブの乗り場へ行けた。整理券は確かに渡された。JFKから乗ったという証明だった。そしてグリニッチビレッジまで、英語の下手くそな運ちゃんが運んでくれて、35ドルでいいという。35はJFKからマンハッタンへの定額なので、チップを加えて40ドル渡したら喜んでいた。ただし、途中の会話は全然無く、もちろんスリルは全く無かった。(2003年6月)

 

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