Essay

  
 【NYC-1 グラウンド・ゼロからバッテリーパーク】

 今日も快晴だった。10時半頃、バナナを1本昼食用にリュックに放り込んで、マサさんのアパートを出る。グラウンドゼロへ行くつもりだ。
 
1AVからUNIONで5番に乗り換える。UNIONの地下では、黒人のおじさんが、カセットのクラシックをバック代わりにして、ソーを弾いていた。柔らかな優しい音色が地下にひびいていた。近くの木製のベンチに座ってしばらく聞いていた。それからコンパクトカメラを取り出す。おじさんにクオーターを1つ寄付して、ジェスチャーでOKをとってから、2カットほど撮影させてもらった。
 5番の地下鉄は古びていた。地図であたりを付けておいて、フルトンで降りる。急ぎ足で改札を抜けていくビジネスマンの後をついて、地上に出た。WTCへの方向はすぐに分った。遠めに黒いネットを全面に被せたビルが見えた。

 1ブロックを進んだだけで、いきなりWTC跡地の金網が見えた。道路を渡る。TVで見たネットや、犠牲者の名前をプリントした看板が見えた。目の前にも地下鉄の入り口があって、これはA,Cラインらしい。
 やはりグラウンドゼロの前に立つと特別な気持ちになった。すでに瓦礫は全部片付けられていて、NY1のニュースで見たとおり、市長がセレモニーをして、再建築の工事がスタートしたところだ。ニュースで見たとおり、金網の前では、写真集を見せて寄付を募るおじさんがいた。(地下鉄からここまで来る途中、NYのTシャツや、WTCの在りし日の写真を売る露店もあった)歩道の端では、フルートを吹いて、チラシを配り、チップを集めているおじさんもいた。見に来ている人はそれほど多くはなかった。だが、胸に迫るものがあり、少し目頭が熱くなった。

#1 M6バスよりWTC (レンズフォト)

 撮り始めた。フルートのおじさんにはコインを寄付した。そのうち、ピンホールかと聞く人があった。見上げると、一眼レフを持った、老年の、だが精悍な、カメラマン。いろいろ話した。この人、B.P.いう人だった。週に3回は、ここに来て、見に来る人の様々な表情を撮っているのだそうだ。自分の作品だと、B&Wというタイトルの小冊子を取り出して僕にくれた。見れば彼の特集号だった。この雑誌、ファインアートプリントの冊子とある。ヨーロッパなどで、若い頃から人物を撮っている報道系フォトグラファーだそうだ。
 僕もポストカードを渡した。チェルシーで個展をやっているということ。とても感心してくれた。オープニングには、行くと約束してくれた。
  B.P.は、自分がWTCを撮るのとは違う視点で、ぜひ、ピンホールで作品を作って欲しいと言った。全部回ったかと聞くから、まだ来たところだというと、あちらからも是非見たほうがいいと、南側のブロックを指差した。

 その後、ハワイにいたという家族からシャッターを頼まれたりした後、南側に回ることにした。WTC跡地は、想像より遥かに狭かった。南側の金網からは、地下が見えた。破壊された地下鉄の元ホームらしい。それらを撮り、流れに沿って行くと、覆われた歩道橋になる。回転ドアで進む。窓からもWTC跡地が見えた。反対側に入ったビルは、どうやら、ワールドファイナンスセンターで金融のビルらしい。丸い回廊を歩いて、エスカレーターで一階に降りた。外へ出る。WTCとは道路で隔てられていた。こちらからは写真にはなりそうもなかった。

 左側を進むと、いつしか、海沿いの遊歩道に出た。石畳みで右側に海が広がる。ずっと遊歩道が続いている。並んでいるベンチでは、思い思いにランチボックスを広げている人たちがいた。デリで買ってきたのだろう。
 はるか海上に、自由の女神がシルエットで見えた。ベンチに座り、昼食のバナナを食べ始めた。余りに大きいので、1本で満腹。今日は水も持ってきていた。太陽は燦燦として、とてもまぶしい。露出計では、日本より、1.5段は明るい。たぶん紫外線も多いのだろう。

#2 ピンホールカメラは三脚に〜(レンズフォト)

 

   ピンホールカメラは三脚につけたまま、広げて立ててあった。今度は自転車に乗った若い黒人が来て停まった。それ、ピンホールカメラだろう、と言った。俺もフォトグラファーだという。それから、30分位彼と話し合う。J.G.と名乗った。個展の案内を渡すと、彼も26stで5月に個展をするのだという。プラチナプリントもやっているという。アフリカや中南米の小さな村へ行き、村人や子どもを、どアップで撮るらしい。アフリカの田舎では、写真に対して恐怖を抱いているそうだ。一眼レフでレンズを交換している間に逃げてしまうので、小さい音の軽い広角カメラが欲しいといい、僕のコンパクトカメラをうらやましがった。

 それから、肩を組んでピンホールで記念撮影した。今日はこれからソーホーでプリントに行くという。でも5時ころギャラリーに行くかもしれないと言った。
 彼と別れてから、トイレに行きたくなった。歩いてもトイレは見当たらなかった。そのうち、数段上がった丸い花壇前のベンチで、再度、彼本人が、座って携帯で電話しているところに出くわした。しばらく待ったが、電話は終りそうもなかった。写真の事を相手に説明しているようだ。ジェスチャーであいさつして、電話をしているところをピンホールで撮った。

 今度は本当にバイバイして、また海沿いを歩く。女性の公園警備員らしい人がいた。トイレを聞いた。まっすぐに行ってピンク色の建物の前だと教わる。ようやく6角形か8角形のトイレを探し出して、用をたした。
 もうバッテリーパーク入り口だった。バッテリーパークに入る気はしなかった。今日は、グラウンドゼロを撮ってから、ブルックリンブリッジへ行き、あわよくば、ソーホーへ寄って、安いフレームを買うつもりだったが、もう時間がだいぶ過ぎて、2時に近かった。

#2 ピンホールカメラで記念撮影

 バッテリーパークの入り口の植え込みには、金属製の大きな球体のオブジェがあって、かなりな部分壊れてこげている。説明を読むと、WTCに飾ってあったオブジェをここに永久保存するとある。花とろうそくが供えてあった。敬虔な気持ちでそれを読んでいると、日本人の中年3人組がやってきた。どうやらビジネスマンらしく、ポロシャツで威張っているやつが、そのモニュメントの前で、小さいソニーのデジカメで記念撮影させていた。それから、日本人サラリーマンの乗りで、3人でふざけながら立ち去っていった。僕はそれを見て、気分が悪かった。
(2003年4月)


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